tumblr

tumblr(タンブラー)は、メディアミックスブログサービス。ブログとミニブログ、そしてソーシャルブックマークを統合したマイクロブログサービスである。アメリカのDavidville.inc(現: Tumblr, Inc.)により2007年3月1日にサービスが開始された。

なくなっても大したことない

吾輩はチンカスである。名前はまだ無い。いや、あるけど。まぁとにかく、巷のすごい人達を見ると、自分などは本当に未熟でどうしようもないチンカスだなとしか思えなくなる。自分とは比べ物にならない人たちが自己研鑽に励みどんどん先を行くのに、自分のようなチンカスみたいな存在がこのままではいられない。日々ボーっとしたりダラダラしている時間を少しでも勉強に当てて少しでもマシな存在にならなければと思っている次第で、日々勉強するようにしている。 ただ、そのときふと思うのは、この勉強の時間は本当に有意義なものだろうかということ。勉強して色々なものを理解して色々なものを手に入れるようになった先にどうしたいのか。ダラダラしたい。ならば今ダラダラできる時間を削るのは本末転倒ではないのか?いや、今勉強しておいて自己投資をしておけば、後々もっと多くのダラダラできる時間が手に入るかもしれない。いやいや、歳を取ってからダラダラした時間を手に入れるのは本当に自分の希望なのだろうか?今ダラダラ出来る時間が1時間あったとして、それが例えば60歳の自分におけるダラダラ出来る1時間と同じなのだろうか?どっちがいいんだ?どうすべきなんだ?そもそも何でこんなこと考えてるんだ?勉強に飽きたから言い訳したいだけじゃないのか?よくわからない。

去年の今ごろは、毎日のようにペットボトルのカフェオレを買っていた。近くの自販機まで散歩して、カフェオレを買って帰ってくるのが日課だった。糖分とカフェインと適度な運動によって目が覚めて頭が働くようになるだろう、これがあるから1日どうにかこうにかやっていけるんだろうと思っているくらいの日課だった。あるとき、ふと、別にカフェオレなんて毎日買わなくてもいいんじゃないの?と何となく思って、その日からカフェオレを買わなくなった。1年以上ほとんど毎日続けていた日課だったので、これを買わなくなったら何か生活リズムなどが変わってしまうかも、とちょっと不安になる気持ちはあった。が、実際どうなったかというと、別にどうにもならず何も変わらなかった。月に数千円、出費がなくなったくらいだった。 そういえば何年か前はよくお菓子を買っていた。週に2,3袋はポテトチップスを買っていた気がする。自炊のための買い物に行く度に1袋買っていた気がする。お菓子を食べるとその分ストレスが減るような気がしたから買っていた。全くお菓子を食べなくなった今思い出せば、そんなことは全くなかったなと思う。そのストレス解消効果を実感しながら食べていたような記憶はない。それを食べて、物凄く幸せな気分になった覚えもない。多少いい気分にはなれたのかもしれないが、毎週のように食べるほどだったろうかと思うとそうでもない。全くお菓子を食べなくなった今、その行動をやるかと思うと全く思わない。結局何も変わらなかったからだ。好きなものを食べればストレスが減るとかお酒を飲めばストレスが減るだとか、そういう人によりけりとしか言えない癖に一般論ヅラした言説に当てられて、特になにも考えずそういう行動をとって、ストレスが減ると信じていたのかもしれない。

結局、自分にとってダラダラできる時間というのは本当に求めているものなのだろうか。試しに1時間ダラダラしてみようと思うと、特にやることがない。ボーッとするのは好きだけれども、せいぜい15分位でもういいやという気分になる。1時間あたり10分とか15分位ならその時間を大事にできそうな気がする。冷静に考えてみれば、ダラダラする時間はなくなってもいいというほどではないが、思っていたよりも少なくて良いのではないか。自分の余生とか健康状態とか含めて時と場合によるのかもしれないが、少なくとも、今それほどまでに大量のダラダラした時間を確保したいという気にはならなかったりする。結局はこれも、人間そういう時間が大切なんだよという実体のはっきりしない言説に無意識のうちに当てられていただけなんじゃないかと思う。

オブジェクト指向設計実践ガイド

継承について学ぶ。継承って大仰な名前ついてるけど、やってることはタダの自動移譲でしかないという簡潔な説明が良かった。

筋トレ

90s LowPlank 30 MountainClimber 20 SingleLeg V-ups 20 RussianTwistHard 4セット + 7minutes workout 2セット